発足
とある人から、
昔は『子供会』というものが
あったと聞きました。
異年齢の子供達が交流し、
野外活動をしたり、学んだり。
それを、
「子供達見たるでー!!」という
大人や地域の人々、
おじいちゃんおばあちゃんが
見守ってくれていたと。
それが、段々と
見守る人達の間で
公平さを求めるようになり、
「見たるでー!」という人達以外も
平等に見守る。というように
なってきて。
見守る、子供会の時に
そばにいることが難しい人達
(リーダー役が苦手だったり、仕事が忙しいなど理由は色々だと思いますが)には
それが徐々に負担になってきて、
『子供会』は
なくなっていったそうです。
無利益でも
「見たるでー!」という人達が、
「見たるでー!」が
何らかの理由で無利益では
できなくなってきて、
平等さを求めてきた時点で、
『子供会』の見守りは、
【負担】だという認識に
変わっていったのだと思います。
誰かが好意でやってくれているうちは
何にも苦じゃなかったことが、
好意だけでは
出来なくなってきてしまう。
そういう事ってあると思います。
やり続けたくても、
お金や、時間や、生活や環境が
それを許さなかったり。
細かく言えば、突然の怪我や事故や
不幸事とか…
そんな時、
その役目をとりあえず皆で
回し始める。
そもそも役目をやってた人が
何らかの理由で出来なくなったのに。
とりあえずで、
役目ができなそうな人にも
そういうのが不得意そうな人にも、
【負担】は平等に、
という理由で回し始める。
そして無理が出る。
存続自体がどうなんだ?という
話になる。
やめる。なくなる。
じゃあどうすればよかったのか⁇
見守ることを代われる人は、
もちろんそれをやったらいいし
見守ることを代わることはできない人は、
自分のできる範囲の得意なことで
その人をサポートしたらいい。
代われなくても、
その人の負担を減らしたらいい。
見守ることを
皆が【負担】と感じる前に。
ただ、やめるのも
立派な選択肢であって、
何でもかんでも闇雲に
続けるべき!とは思っていないし
この場合はやめて正解だったと思う。
ただ、誰かが【負担】と
感じたもの(役)を
とりあえず(その役を)
皆で回し出す。っていうのは
根本的な解決にはなってないと思う。
もっともっと、
原因を追求したり、
皆で考えたりしてもいいのにな。
皆で平等に、をやる前に。
【負担】を平等にしたら、
もうそれは
【負担】でしかないよね。
【負担】だってわかってるものを
皆で分け分けしたって、
ゲンナリするだけ。
【負担】を【負担】から
変身させられないのか⁈
そもそもなぜ【負担】に
なってしまったのか⁈
そんなことを
いちいち考える。
そういうことが大事な気がします。
ここから本題です。(おそーい!)
『こども会』作りました。
【負担】ではなく、
主催者や見守る保護者にとっても
【学び】になる『こども会』を
目指します。
また情報アップしていきますので
お楽しみにー!
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